2012年9月3日月曜日

絶望への道

悲哀から絶望への道はそう長いことはない。というか、あるいは悲哀のなかには絶望のすわるべき席が目だたぬところにはじめからもうけられているのだといってもさしつかえない。もっとつっこんで表現すれば、絶望の席は私どもの心の奥の座にいつでもあけてあって、どこからでも絶望がのりこんでぎさえすればいいようになっているのだという方がもっとふさわしいかもしれない。

というのは、絶望の発生は悲哀が極限にまでいきついたときだけとかぎらず、道はほかにもあるからである。だ、かまず悲哀からの道を考えていくことにしよう。自分のまわりの世界と自分とのつながりを断とうとするのに二つの方法があるということを、前に感情の地層のところでのべた。自分の方をすててしまうか、それとも自分をつつむ世界の方を一切否定してしまうか。

あとの方をとれば、自己は絶対に孤独な存在と化するわけだが、絶望者の多くはこれではなくて、世の中に向って足がかりをつける力を失ったために、世界に対する自分の方をすてようとする人たちである。ふかい悲しみにしずんだ人は、生きるのだ生きるのだとどんなに自分にいいきかせても、彼0底をしめる生活の原動力がつきてしまった以上どうすることもできない。

「自分は肉体上にも道徳上にもひどくくるしんでいる。あせりと不眠、それから恐怖、これが自分を圧倒し、たえずとらえてはなさない。自分には脳味噌も思想もなく、これ以外には書くことができない。ああ神よ、生きるとはなんという不幸でしき墓にいたるまでのなかい煩悶である。この名状しがたいおそろしい不幸はこれから何年つづくかわからない。ただ、こんな人生か五十年か百年かでおわると思えぱ、それだけがたのしいことだ」。(ジェームズより)

この人は、苦悶と絶望の交代威嚇にもかかわらず、自然の生命がつきるまでは生きていなければならぬと嘆息しているか、絶望した人は自分でいのちをすてることによって絶望をおわらせる方がむしろ自然である。この点について、自殺をはかったある女性か手にとるような描写をしている。

「しばらくまえからたんだかだるくて、おうくうで、なにをするのも大儀で、ごろごろしていました。いつもは人一倍明るい方なのですけど、とぎどきこうなることがあるのです。人生のうらというのかしら、人生のかげにこんなものかなしい気持、かかくれていたのかと思われるような感じでした。そして、ごろごろしていてなにも役にたたない自分かとても小さなくだらないものに思われて、生きているかいかおりませんでした。夜ねむっている間だけが心のやすまるときでした。ねむっていてわれを忘れて、なにも知らない間だけが楽でした。目がさめるとまたさびしい気持がたちこめてきて、自分がいさえしなければ、みんなの不幸か幾分かでもかるくなりはしないかと、そんなことばかりこびりついていました。わきでねむっている子供たちを眺めると、なんともいわれないほどふぴんでした。こんな母親をもって、今にも死んでいこうとしている母親をもって、けれども私かいなくなったら子供たちはどうなるでしょう。考えると、不幸ばかりがひしめいているようで胸がつまりました」。

このひとは二人の于の心臓を突いて自分ものどと手首を切ったが、不運にも自分だけすくわれてしまった。この話をしたときには、もう沈脛の気分は消えて、明るい生の面がもどってきていたのであったが、それでも彼女の明るさの底には一度知ったかなしみの人生の影がしみこんでいて、以前の底のないはれやかさにはもうかえらなかった。