2015年8月7日金曜日

外交官を志望した動機

中学生当時から狙い定めた東京大学(文科一類)に現役で入った私の自負心は、しかし、折から燃えさかっていた日米安保闘争にこれといった判断力もないままに飛び込み、条約の自然成立以後、急速に収束していった闘争のエネルギーからとり残されることによって、まず最初の深刻な挫折感を味わった。

それでも気をとり直して勉強に励もうとしたのだが、周囲の俊秀たちの存在によってさらなる挫折感を味わうことになった。一年生後半からは、講義を受けることも億劫になって、今ではほとんど注目もされない阿部次郎の『三太郎の日記』などを読み返す日々を過ごした。

大学生活への幻滅は、少しでも早く社会に飛び出したいという気持ちを強めた。また、両親が私たちへの仕送りに苦労していることに気がついたことも、三年生でも受験でき、社会に入れる職業を捜そうとする気持ちを強めた。これが、外交官(というより、私の気持ちの中では「外務公務員」という方がぴったりくる)をめざした最大の動機である。

このように私の場合、外交官という職業選択の動機は、冒頭で述べたような「華やかさ」というようなイメージに憧れる要素は、正直いってまったくかけらほどもなかった。現に大学時代、私がもっとも尊敬していた友人は、私の内向的な性格を心配して、私が試験にパスしてからも、再考するように勧めてくれたものである。私自身も、受かってから悶々とした日々を過ごした。両親も、家計を心配してのことであれば、無理をすることはないと助言してくれた。

最終的に私が踏ん切りをつけたのは、学生時代から漠然と抱いていたアジアに対する関心だった。アジアの問題を国家レベルで考えようとするならば、やはり外務省という職場が一番適当ではないか、と判断したのである。現在、自民党の有力な代議士になっている大学ではニ年先輩だった人が、アジアの重要性を熱っぽく説いてくれたことも私の確信を深めた。