2015年5月12日火曜日

国家秘密法の復活

それらの長年にわたる軍拡の累積が、一方では、序章でみた「防衛省」と「新ガイドライン」という枠組みに結実し、他方で部隊運用の面にもあらわれて、「海を渡る自衛隊」と「統合運用」そして「集団的自衛権へのかぎりない接近」につながるのである。憲法と安保・自衛隊の相剋は、このように長い道筋をたどりながら、今日の「現実にそぐわないので憲法をかえよう」とする改憲潮流にいたったのだといえる。「三矢研究」が国会で爆弾質問されたとき、佐藤首相は怒りを隠さなかった。だが、答弁はやがて、「自衛隊が軍事侵略を受けたときの研究をするのは当然」に変わり、最終的には「機密文書管理の不備」を理由に関係者二六人の行政処分だけでおさめてしまった。

違法な戦争計画をとがめるのではなく、秘密の漏洩のほうが問われたのである。これをきっかけとして、自民党右派を中心とする勢力から「国家秘密法」の制定が叫ばれるようになる。七〇年代以降、スパイ天国・日本のキャンペーン(日本は秘密に関する危機管理が手薄で、他国に情報が流出しているといった言説が広められた)の下、執拗に法制化をめざした。しかし、戦前期存在した「国防保安法」への国民の拒否感情は根づよく、そのつど、「言論の自由を脅かす」、「情報公開の流れに逆行する」という世論の強い批判にあい成功しなかった。八〇年代、中曽根内閣は二度にわたり、「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」「防衛秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」を提案したが、どちらも廃案に終わった。自民党内にさえ、反対・消極意見が少なからずあった。

ところが、9・11事件のあと、「テロ対策特別措置法」を審議した二〇〇一年の国会で、自衛隊法に「防衛秘密」条項を追加する改正案がとつぜん上程・採択されたのである。中曽根内閣時代に廃案となった法案の「防衛秘密」にあたる条文が、ほぼそのまま抜きだされ自衛隊法に移しかえられた。唐突な、しかも「テロ特措法」と、なんの関連もない便乗改正であった。しかし、両法案が一括審議に付されたため、野党の関心はもっぱら自衛隊のインド洋派遣に向けられ、三週間六〇時間の審議期間中、「防衛秘密」について論議されたのは、わずか二時間ほどでしかなかった。こうして古くからくすぶっていた「国家秘密法」は、デロとの戦いという名分を得て、「自衛隊法改正案」に盛り込まれ、可決された。あらためられた自衛隊法第九六条の二に次の条文がある。

「防衛大臣は、自衛隊についての別表第四に掲げる事項であって、公になっていないもののうちヽ我が国の防衛上特に秘匿することが必要であるものを防衛秘密として指定するものとする。」別表には、指定される防衛秘密が、自衛隊の運用又はこれに関する見積り若しくは計画若しくは研究、防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報、前号に掲げる情報の収集整理又はその能力、防衛力の整備に関する見積り若しくは計画又は研究、武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物の種類又は数量、防衛の用に供する通信網の構成又は通信の方法などと一〇項目にわたり例示されている。違反者に対する罰則は次のように規定されている。

「第一二二条 防衛秘密を取り扱うことを業務とする者がその業務により知得した防衛秘密を漏らしたときは、五年以下の懲役に処する。防衛秘密を取り扱うことを業務としなくなった後においても、同様とする。」秘密概念のあいまいさ、網羅性にとどまらず、処罰対象が「防衛秘密を取り扱うことを業務とする者」まで拡大されたことに注意しなければならない。当局の一存で、自衛隊員だけでなく公務員から防衛産業の経営者・従業員まで広く処罰対象に取りこみうるのである。「共謀し、教唆し、又は扇動した者」への捜査が、自衛官や防衛産業関係者を取材する報道関係者に適用されない保障も、条文上は確保されていない。