2014年8月9日土曜日

不良資産を債権回収機構に移す

そこでまず、各企業に五〇〇〇万円までの借り入れには、無担保・無保証で公立の保証協会が保証をする、という制度をつくった。極端なばら撒き緊急対策である。第二は需要の拡大。そのためには超大型の補正予算を組んだ。投資が減り、消費も伸びない現実を打開するために、九兆円の減税と事業規模一八兆円の公共事業投資などを行った。

これまでも政府は、不況のたびに財政拡大を行ってきたが、その規模は小さく執行の時期は遅かった。諸外国から、日本の対策は(ツーリトルーツーレート示さ過ぎて遅過ぎる)と郷楡されたものだ。これに対して小渕恵三総理は、自ら「ツービッグーツーファースト(大き過ぎて速過ぎる)といわれたい」といい、大規模対策を早々に始めた。

そして第三には、金融構造の抜本的改革である。昭和五年頃から七十年以上にわたって「銀行は倒産させない、全部政府が保護する」という護送船団方式を採ってきたが、これを根本から見直し、債務超過の銀行は大小にかかわらず淘汰することにした。この結果、長銀や日債銀という一流の大銀行も破綻やむなしとなり、一時国有化された。

両行などの破綻銀行は、不良資産を債権回収機構に移したのち、再び民間投資家に売却した。また、第二地銀や信用組合などでも相当数の破綻が出た。かつては有力政治家や強力派閥に繋がるといわれた金融機関も、その多くが同様の方法で破綻処理された。すべて市場原理優先である。

一方、健全な銀行には公的資金を注入するとともに、統合合併を進めた。たとえば、さくら銀行と住友銀行が合併して三井住友銀行になる、富士、興銀、第一勧銀の三行でみずほクループをつくるなど、それ以前なら信じられないことが次々に起こった。弱い銀行も保護するという政策から、厳しい競争と淘汰を求めることで、日本に強い銀行をつくる方向へと政策を転換した。これによって日本の金融業界の仕組みは相当に変わった。