2015年10月7日水曜日

政党の浸透の度合い

今日では民族英雄のひとりに列せられている指導者イマムーボッジョルの統率する部隊が、タパヌリ地方にも入り込み、当時はまだアニミズム的信仰を墨守していたバタック族に、剣の威圧のもとにイスラムへの改宗を迫った。マンデイリンーバタック族のイスラム化はその結果である。「だがしかし」と、トバーバタック族の運転手(プロテスタント)が講釈を加えた。「さすがの彼らも、トバまでは攻め込めなかった。食べられちゃうのが怖かったからさ」。キリスト教の普及が進む前の一九世紀まで斬首刑と食人の奇習ゆえに恐れられたトバーバタック族の末裔の、あっけらかんとしたブラックーユーモアである。

このようにタパヌリ地方は、〈イスラム〉対〈世俗民族主義十キリスト教〉という分岐線が域内を二分している興味深い地域だ。この分岐線を越えた先で様子がどう変わるのか、沿道の集落に立てられた政党旗の種類に目を配りながら、車窓からの風景を観察した。イスラム地域に入っても、最初は赤い旗(闘争民主党)が黄色い旗(ゴルカル)より目につくという形勢にあまり変化はなかった。しかし、南下するにしたがって、次第に旗の数そのものが減ってきた。政党の浸透の度合いが下かってくるようだった。北スマトラ州内の最南端に近いある村では、赤い旗と黄色い旗を交互に何本も並べているのが目にとまった。天下の形勢がどちらに傾いてもいいように、我が村はもっかのところ日和見を決め込んでいます、とでも言いたげな風情だ。

北スマトラ州から西スマトラ州への州境では、深い森林に覆われた山岳地帯を越える。そこから先は、バタック族ではなくミナンカバウ族の居住地域である。西スマトラの村々の政治的表情は、トバ湖以北の北スマトラのようにはっきりとしてはいなかった。政党の旗の数そのものがやや少な目なうえに、種類が一定しなかった。強いて言えば、北スマトラではあまり見かけなかった国民信託党の青い旗が目立つように感じられた。

しかしこの日は、州境を越えてからほどなく日が暮れ、ブキティンギヘ近づくとスコールにも見舞われて沿道の旗見物はあきらめざるをえなくなった。ブキティンギの北、数十キロにあるボンジョルの町はずれで、道は赤道を通過する。イマムーボンジョルの出身地である。ミニバスは、地球儀をかたどった赤道の碑の前でしばし停車した。一九世紀スマトラの改革主義イスラムの北進運動は赤道直下に起源を発したことを知り、感慨深かった。

高原の町ブキティンギでも二泊して、マニンジャウ湖など周辺の名勝をやはり二二年ぶりに探訪した。かつては高原の幽玄境という趣が深かったマニンジャウ湖は、湖畔に民宿が建ち並ぶ観光地に変貌していた。ここでも、闘争民主党などいくつかの政党の支部がすでに結成されていることが確認された。ブキティンギから海岸の州都パタンへ下りてからは、同地出身のジャカルタの大学職員L氏に紹介された彼のいとこのT氏を訪ね、町の外の海沿いの景勝地のいくつかを案内してもらった。