2014年9月6日土曜日

労働運動の後退

「私も英国進出には基本的に反対だが『絶対反対』ではない。今、でるのはやめたほうがいい、大きな損は不幸といっているもので、確信に満ちているわけではない。もしかしたら、でるほうがよいのかもしれないし、また、その望みもある」なにやら禅問答めいていて、捉えどころがない。しかし彼は、経団連副会長の立場から、彼とその後任の岩越前社長まで蜜月時代だった労使が、いまぎくしゃくしていることについて、塩路を牽制しはじめているのである。その後のマスコミでの塩路批判は、石原側からの猛攻であると同時に、川又塩路ラインにすきまが生じていることの反映でもあろう。

川又は、前述の「日経産業新聞」のインタビューで、重大な発言をしている。というのも、宮家初代自動車労連会長の名をあげ、現在の日産労使関係の礎を築いたのは塩路ではなく、宮家である、と強調したのである。宮家は『日産自動車社史』にはまったく登場せず、これまで歴史から抹殺されていた存在である。いまとなってその功績が顕彰されだしたことが微妙である。それが塩路の地盤がゆるんできたことを象徴しているように思える。

塩路の記者会見のあと、社内に怪文書が大量に流れた。「日産に働く仲間に心から訴える」とのタイトル。作成者は「日産係長会・組長会有志」となっている。「係長会・組長会」は。労使の中間にあって、これまでその接着剤の役割を果たしてきた。と同時にそれが塩路体制を支え、塩路の企業内での影響力をつくりだしていたのである。末端職制層から叛乱がはしまったことは、塩路にとっての一大事である。あたかも三〇年前、最強を誇っていた全国自動車労組・日産分会が川又ト宮家ト塩路のラインによって瓦解させられたときも、やはり職制層が反組合で活発に活動したのだった。

文書には、こう書かれている。「最近、塩路会長が会社の内外で行っている恥すべき行動は、日産の企業基盤を弱体化させるばかりであり、このままでは組合員の将来の生活すらおびやかす危険なものであると考え、生産現場の中核を担うべき我々の係長会・組長会のメンバーは、もうこれ以上、塩路会長の行動にはついていくことはできない、ついていくべきではない、と決意し、ここに立上りました」いまのところこの勢力がどれだけ力をもっているのか判断できない。しかし、社外での世論づくりと社内の危機感の増幅、それに、川又会長の談話を重ね合わせて考えると、かなりの組織だった攻勢であることを理解できる。

これまで労使一体化してきた企業でさえ、経営者と意見がくいちがうようになると、組合幹部への猛攻がはじまるのである。それが、労働運動の退潮を予兆させるものなのか、それとも現場からエネルギーを噴きだすことに作用するかどうか。社長の権力がより強められようとしている日産の問題は、けっして大企業の単組幹部にとっても対岸の火事ではない。

八六年二月、ついに塩路は自動車労連会長を辞任すると表明した。すでに同盟副会長の椅子も降りることを決定し、自動車総連(全メーカーの労組連合会)会長もクビになった。「フォーカス」などは彼の女性問題などのスキャンダルをなんどか扱っていた。労働貴族の影響力が弱まるのはいい。しかし、それがもっと無難な幹部にすげかえられただけで、労使一体化はさらに進む。彼をひきずり降ろした社長は会長となり、同友会代表幹事としての力をほこっている。この事件は、労働運動の後退を示すひとつのエピソード、として読まれるべきであろう。