2015年12月7日月曜日

世界貿易の全面的な自由化

地球規模で事業をしている多国籍企業にとっては、戦後一貫して自由化を主張してきたアメリカ政府の経済戦略は好ましく、協調できる政策は少なくないであろう。しかし多国籍企業の経済活動の規模がさらに大きくなり、発展途上国の経済力も上昇して、世界貿易の全面的な自由化を求めるようになれば、アメリカ国内の保護貿易グループとは協調できなくなることは、十分に考えられる。現に中米貿易摩擦でのアメリカの国論の不一致は、両者の利益が対立していることを示している。
 
そのうえ、ヨーロッパや日本の多国籍企業によるアメリカへの投資もまた盛んである。一九九七年末までの投資残高は、イギリスが一二六九億ドル、日本が二一三五億ドル、オランダが八四九億ドル、ドイツが六九七億ドルに達している。これらの企業を追って、韓国の電子企業も、まずアメリカに進出し、次にメキシコに移動して、対米輸出用のテレビを生産している。アメリカの最後の唯一のテレビーメーカーであったゼニスも、韓国資本によって買収された。
 
テレビは戦前にアメリカで発明され、戦後いちはやくその大量生産が開始され、アメリカのテレビ文化が世界を席捲したのであるが、今はアメリカの電気屋からアメリカ製テレビは姿を消してしまった。しかし、大部分のアメリカ人はそれを嘆いてはいないであろう。アメリカ人は、品質が良く値段が安くありさえすれば、どこの国の製品であっても、こだわりなく買うのである。

そうすると、世界の政治経済は、いつまでも一極集中にとどまっているわけには行かないであろう。それが不意に起これば、ドルが暴落して世界経済は混乱するから、二一世紀の前半には、世界はいかにして一極集中から多極化へと軟着陸するかという課題に直面しよう。中国の外貨準備高は一四〇〇億ドルのあたりだが、そのうち米ドルは全体の六〇%前後を占め、六〇〇億ドルの米国債を所有していると言われる。ドルの低落のリスクを緩和するために、そのドルをユーロその他に変える可能性が高いとも言われる。世界経済の多極化は、こういう道筋からも進む。

2015年11月7日土曜日

ユーロ市場の縮小と危惧の嵐

フランクリン、ヘルシュタット両行倒産に端を発したユーロ市場の混乱と逼迫は、ユーロ市場全体に縮小と危惧の嵐をまきおこしたが、七五年に入ってようやく回復をみせ、このユーロ資金取入れ難の経験から国際銀行群は競ってユーロ債、ことにFRNの発行にのりだすことになった。本来、短期資金調達に特色ある各国の商業銀行は、金利変動リスクある固定金利債よりも変動利付債に発行者としてはなじみやすい点が多い。このように日米欧の商業銀行が自行の中長期資金調達源として拡大してきたFRN市場は、シンジケート・ローン市場の大口借入れ先であるソブリン(国、政府機関、国家金融機関)の注目をひくようになり、これらソプリンが大量の借り手群として登場することとなった。

その理由は発行コストが安いこと、資金調達チャンネルが多様化できること、より多くの投資家層に食いこみうること、機動的な調達ができ、さらに一度に高額の長期資金獲得が可能であることなどである。そしてローン市場が八二年の発展途上国累積債務爆発後に完全に停滞したのを尻目に、毎年発行高は増加を示し、八四年以降、毎年一、〇〇〇億ドルを超える発行額に達した。たとえば八五年の英国向け二五億ドルの超大型FRNまで出現するにいたった。八三年は、債券発行が明らかにシンジケート・ローンの組成額を超過した分水嶺である。このようなユーロ債市場の発展は、やがてユーロ市場における証券化の大きな波を起こしてゆくこととなる。

2015年10月7日水曜日

政党の浸透の度合い

今日では民族英雄のひとりに列せられている指導者イマムーボッジョルの統率する部隊が、タパヌリ地方にも入り込み、当時はまだアニミズム的信仰を墨守していたバタック族に、剣の威圧のもとにイスラムへの改宗を迫った。マンデイリンーバタック族のイスラム化はその結果である。「だがしかし」と、トバーバタック族の運転手(プロテスタント)が講釈を加えた。「さすがの彼らも、トバまでは攻め込めなかった。食べられちゃうのが怖かったからさ」。キリスト教の普及が進む前の一九世紀まで斬首刑と食人の奇習ゆえに恐れられたトバーバタック族の末裔の、あっけらかんとしたブラックーユーモアである。

このようにタパヌリ地方は、〈イスラム〉対〈世俗民族主義十キリスト教〉という分岐線が域内を二分している興味深い地域だ。この分岐線を越えた先で様子がどう変わるのか、沿道の集落に立てられた政党旗の種類に目を配りながら、車窓からの風景を観察した。イスラム地域に入っても、最初は赤い旗(闘争民主党)が黄色い旗(ゴルカル)より目につくという形勢にあまり変化はなかった。しかし、南下するにしたがって、次第に旗の数そのものが減ってきた。政党の浸透の度合いが下かってくるようだった。北スマトラ州内の最南端に近いある村では、赤い旗と黄色い旗を交互に何本も並べているのが目にとまった。天下の形勢がどちらに傾いてもいいように、我が村はもっかのところ日和見を決め込んでいます、とでも言いたげな風情だ。

北スマトラ州から西スマトラ州への州境では、深い森林に覆われた山岳地帯を越える。そこから先は、バタック族ではなくミナンカバウ族の居住地域である。西スマトラの村々の政治的表情は、トバ湖以北の北スマトラのようにはっきりとしてはいなかった。政党の旗の数そのものがやや少な目なうえに、種類が一定しなかった。強いて言えば、北スマトラではあまり見かけなかった国民信託党の青い旗が目立つように感じられた。

しかしこの日は、州境を越えてからほどなく日が暮れ、ブキティンギヘ近づくとスコールにも見舞われて沿道の旗見物はあきらめざるをえなくなった。ブキティンギの北、数十キロにあるボンジョルの町はずれで、道は赤道を通過する。イマムーボンジョルの出身地である。ミニバスは、地球儀をかたどった赤道の碑の前でしばし停車した。一九世紀スマトラの改革主義イスラムの北進運動は赤道直下に起源を発したことを知り、感慨深かった。

高原の町ブキティンギでも二泊して、マニンジャウ湖など周辺の名勝をやはり二二年ぶりに探訪した。かつては高原の幽玄境という趣が深かったマニンジャウ湖は、湖畔に民宿が建ち並ぶ観光地に変貌していた。ここでも、闘争民主党などいくつかの政党の支部がすでに結成されていることが確認された。ブキティンギから海岸の州都パタンへ下りてからは、同地出身のジャカルタの大学職員L氏に紹介された彼のいとこのT氏を訪ね、町の外の海沿いの景勝地のいくつかを案内してもらった。

2015年9月7日月曜日

オンライン自動車販売企業

実際にオークションが行なわれているページをみると、現在の価格や参加者の人数、売り手の情報などをみることができる。また、商品の写真が掲載されていることも多い。売り手にはこれまでの実績や買い手の満足度などが反映される評価の印がついているため、取引が信頼できるかどうかがわかるようになっている。

オークションに参加するには、まず登録を行ない、目的の商品にビット(値付け)を行なう。ビットは通常七日間行なわれ、その期間に最高価格を付げたものが、商品を競り落とすことができる。競り落としたら、買い手は売り手に三日以内に連絡をとり、商品を送ってもらう。他方、売り手は、最初に登録料(二五セントから)を払い、商品の情報をイー・ペイに登録する。商品の売買が成立したら、決済が行なわれる。

九九年第2四半期の売り上げは四九五〇万ドルで、前年同期から一五四%増加した。同期の新規登録者は一七〇万人で、登録利用者総数は五六〇万人に達した。九九年六月には、一か月で五九〇万人が同サイトを訪れた。一日二〇〇万点の取引によって、平均六%の手数料を得ている。当期の利益は八一万六〇〇〇ドル、企業買収などの費用を除いた利益は五一〇万ドルであった。

『ビジネスーウイーク』(九九年三月三一日号)は、イー・ベイの変動価格販売制度が、アマゾソーコムなどの固定価格販売制度を切り崩す可能性があるとしている。他方で、アマゾソーコムも、すでにオークションを導入している。また九九年六月には、サザビーズCSothebyと提携し、「サザビーズーアマゾソーコム(sothebys.amazon.com)」というオークションサイトを立ち上げた。このサイトで、サザビーズ社などから提供を受けた芸術品や宝飾品、コインや切手などのオークション品をコレクター向けに販売する。

オークション形式のオンライン自動車販売企業も登場した。プライスライン(priceline.com)は、顧客が電子メールで希望の車種と価格を送れば、その希望に応じる販売店から答えがきて契約が成立する、という仕組みを開発した。顧客は好きな値段を付けることができる(ただし、タールを送ったあとは、キャンセルできない)。販売店は客が確実に購入することがわがるため、多少安い価格でも商談に応じる。なお、同社は同じ方式で航空券も販売している。

2015年8月7日金曜日

外交官を志望した動機

中学生当時から狙い定めた東京大学(文科一類)に現役で入った私の自負心は、しかし、折から燃えさかっていた日米安保闘争にこれといった判断力もないままに飛び込み、条約の自然成立以後、急速に収束していった闘争のエネルギーからとり残されることによって、まず最初の深刻な挫折感を味わった。

それでも気をとり直して勉強に励もうとしたのだが、周囲の俊秀たちの存在によってさらなる挫折感を味わうことになった。一年生後半からは、講義を受けることも億劫になって、今ではほとんど注目もされない阿部次郎の『三太郎の日記』などを読み返す日々を過ごした。

大学生活への幻滅は、少しでも早く社会に飛び出したいという気持ちを強めた。また、両親が私たちへの仕送りに苦労していることに気がついたことも、三年生でも受験でき、社会に入れる職業を捜そうとする気持ちを強めた。これが、外交官(というより、私の気持ちの中では「外務公務員」という方がぴったりくる)をめざした最大の動機である。

このように私の場合、外交官という職業選択の動機は、冒頭で述べたような「華やかさ」というようなイメージに憧れる要素は、正直いってまったくかけらほどもなかった。現に大学時代、私がもっとも尊敬していた友人は、私の内向的な性格を心配して、私が試験にパスしてからも、再考するように勧めてくれたものである。私自身も、受かってから悶々とした日々を過ごした。両親も、家計を心配してのことであれば、無理をすることはないと助言してくれた。

最終的に私が踏ん切りをつけたのは、学生時代から漠然と抱いていたアジアに対する関心だった。アジアの問題を国家レベルで考えようとするならば、やはり外務省という職場が一番適当ではないか、と判断したのである。現在、自民党の有力な代議士になっている大学ではニ年先輩だった人が、アジアの重要性を熱っぽく説いてくれたことも私の確信を深めた。

2015年7月7日火曜日

国連の機能強化を働きかける目的

国連キプロス平和維持軍に英国が、国連レバノン暫定軍にフランスが要員を派遣するなどの例はあったが、このUNIKOMにはP5がこぞって参加するという前例のない事態となった。これには、P5が結束して湾岸危機の再発を防ぎ、イラクに対して国際社会の意思を鮮明にする、という政治的な意図もあった。しかし、伝統的なPKOのルールの一部がこれによって崩れ、新たな経験則に道を開いたことも否定できない事実だ。このように、PKOの性格は可塑的なもので、次々に現実に対応して変化することを前提としている。UNIKOMに見られた変化が、決して例外的なものではなく、むしろ「冷戦後」を迎えた新時代の国連の先触れであったことは、その後、ガリ事務総長が提案した画期的な報告書で明らかになった。

九二年一月三十一日、ニューヨークの国連本部で、極めて注目すべき会議が開かれた。史上初めてという安保理の首脳会議である。 出席したのは米国のブッシュ、ロシア、エリツイン、フランスのミッテラン各大統領、英国のメージャー、中国の李鵬各首相の他、非常任理事国からは日本の宮沢首相も出席した。ちょうどその前月のクリスマス・イブに、国連における旧ソ連の地位は、ロシアに引き継がれることが決まっていた。首脳会議は英国が呼びかけたもので、旧ソ連の崩壊という大きな変化に直面した国連が、冷戦後の新時代にどのような役割を果たすかについて話したのが狙いだった。また、この月に就任した新事務総長のガリ氏を、理事国の首脳が一致して支援することを明確にし、国連の機能強化を働きかける目的もあった。

2015年6月6日土曜日

希望のない窮乏期間の長期化

今後5年間という短期間で状況が劇的に変化し、非正社員の活動が先鋭化する可能性もある、と筆者は予測している。その最大の根拠は、非正社員のフラストレーションが解消されないまま、怒りや絶望へと転嫁する可能性があるからだ。特に、正社員として働きたいにもかかわらず、非正社員を余儀なくされている人の自暴自棄はピークに達する。その根拠をいくつかあげてみよう。第一に、金融危機の影響の大きさである。金融危機による世界同時不況の影響が深ければ、日本経済の復活には長期間を要するようになる。また、仮に不況を脱したとしても、バブル崩壊後の「陽炎景気」と同様に、非正社員にまで景気回復の恩恵が届くまでには相当の時間を要する。希望のない窮乏期間が長期化すれば、暴発するリスクは高まるだろう。

第二に、金融危機による不況が長引けば、フリーターにしてもニードにしても、希望がないまま高齢化していくことになる。非正社員の高齢化は以前から指摘されていることだが、出口のない不況は「このまま歳をとり続けたら」という彼らの焦りを一層強いものにする。おそらく、非正社員の多くは金融危機の今、「時間の重さ」というものをかつてないほどに感じているのではないだろうか。この感覚が様々な暴発につながる恐れは大きい。

第三に、「チエーゲバラ」や「蟹工船」が流行り、共産党員が増えるなど、かつてないほどに反体制ムードが高まりつつあることである。もちろん、フリーターや派遣労働者の多くが「俺たちは反体制だ!」と明言しているわけではない。むしろ、正社員のような生き方を「会社に縛られたせこい生き方」だと批判し、「俺もいつかは金持ちの起業家」と思っているようなバリバリの資本主義者の方が多数派かもしれない。また、彼らの多くがどこまでチエーゲバラや蟹工船、また共産党のコンセプトを理解しているのかはわからない。しかし、いつの時代もそうだが、明確な意味やコンセプトなど理解しないままに、人々を惹きつけるムードこそ時代を形作るものだ。

その意味では、今徐々に広がりつつある「反体制ムード」が今後5年以内に大きくなる可能性は十分ある。第四に、小泉内閣による構造改革以来の社会風潮だと筆者は思っているのだが、日本社会全体に破壊願望のようなものがあることだ。特に、非正社員などの虐げられた立場にいる人々の破壊願望が強くなっている。例えば、厚労省の元事務次官夫妻などが刺殺された際の世間の反応から、そんなことが読み取れる。公共の電波を扱っているテレビのニュースキャスターが、人が殺されるという重大性よりも年金不祥事との関連に最後まで固執したことは当然としても、世間全体の反応は恐ろしいくらいに冷たかった。この殺伐とした空気に違和感を覚えるのは、筆者だけだろうか。

第五に、非正社員という「階級」としての意識が強くなることである。不況が長引き、フリーターや派遣労働者が高齢化すれば、そこから這い上がる可能性がますます低下する結果、大多数の非正社員は固定化する恐れが強くなる。つまり、階級を変わることができないということだ。それに加えて、仮に彼らの多くが身分や収入の不安定さから、結婚し家庭生活を築けないとなれば、露骨な話だが「自分の子供に逆転を託す」といった希望も持てなくなる。戦後の日本では階級間移動が活発だったことを考えれば、「階級固定化」「一代プア」がもたらす閉塞感・絶望感・虚無感は想像を絶する。

2015年5月12日火曜日

国家秘密法の復活

それらの長年にわたる軍拡の累積が、一方では、序章でみた「防衛省」と「新ガイドライン」という枠組みに結実し、他方で部隊運用の面にもあらわれて、「海を渡る自衛隊」と「統合運用」そして「集団的自衛権へのかぎりない接近」につながるのである。憲法と安保・自衛隊の相剋は、このように長い道筋をたどりながら、今日の「現実にそぐわないので憲法をかえよう」とする改憲潮流にいたったのだといえる。「三矢研究」が国会で爆弾質問されたとき、佐藤首相は怒りを隠さなかった。だが、答弁はやがて、「自衛隊が軍事侵略を受けたときの研究をするのは当然」に変わり、最終的には「機密文書管理の不備」を理由に関係者二六人の行政処分だけでおさめてしまった。

違法な戦争計画をとがめるのではなく、秘密の漏洩のほうが問われたのである。これをきっかけとして、自民党右派を中心とする勢力から「国家秘密法」の制定が叫ばれるようになる。七〇年代以降、スパイ天国・日本のキャンペーン(日本は秘密に関する危機管理が手薄で、他国に情報が流出しているといった言説が広められた)の下、執拗に法制化をめざした。しかし、戦前期存在した「国防保安法」への国民の拒否感情は根づよく、そのつど、「言論の自由を脅かす」、「情報公開の流れに逆行する」という世論の強い批判にあい成功しなかった。八〇年代、中曽根内閣は二度にわたり、「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」「防衛秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」を提案したが、どちらも廃案に終わった。自民党内にさえ、反対・消極意見が少なからずあった。

ところが、9・11事件のあと、「テロ対策特別措置法」を審議した二〇〇一年の国会で、自衛隊法に「防衛秘密」条項を追加する改正案がとつぜん上程・採択されたのである。中曽根内閣時代に廃案となった法案の「防衛秘密」にあたる条文が、ほぼそのまま抜きだされ自衛隊法に移しかえられた。唐突な、しかも「テロ特措法」と、なんの関連もない便乗改正であった。しかし、両法案が一括審議に付されたため、野党の関心はもっぱら自衛隊のインド洋派遣に向けられ、三週間六〇時間の審議期間中、「防衛秘密」について論議されたのは、わずか二時間ほどでしかなかった。こうして古くからくすぶっていた「国家秘密法」は、デロとの戦いという名分を得て、「自衛隊法改正案」に盛り込まれ、可決された。あらためられた自衛隊法第九六条の二に次の条文がある。

「防衛大臣は、自衛隊についての別表第四に掲げる事項であって、公になっていないもののうちヽ我が国の防衛上特に秘匿することが必要であるものを防衛秘密として指定するものとする。」別表には、指定される防衛秘密が、自衛隊の運用又はこれに関する見積り若しくは計画若しくは研究、防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報、前号に掲げる情報の収集整理又はその能力、防衛力の整備に関する見積り若しくは計画又は研究、武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物の種類又は数量、防衛の用に供する通信網の構成又は通信の方法などと一〇項目にわたり例示されている。違反者に対する罰則は次のように規定されている。

「第一二二条 防衛秘密を取り扱うことを業務とする者がその業務により知得した防衛秘密を漏らしたときは、五年以下の懲役に処する。防衛秘密を取り扱うことを業務としなくなった後においても、同様とする。」秘密概念のあいまいさ、網羅性にとどまらず、処罰対象が「防衛秘密を取り扱うことを業務とする者」まで拡大されたことに注意しなければならない。当局の一存で、自衛隊員だけでなく公務員から防衛産業の経営者・従業員まで広く処罰対象に取りこみうるのである。「共謀し、教唆し、又は扇動した者」への捜査が、自衛官や防衛産業関係者を取材する報道関係者に適用されない保障も、条文上は確保されていない。

2015年4月7日火曜日

専門家による膨大な研究成果

歯科学の専門家による膨大な研究成果があるが、歯周病に悩まされてきた自分の体験も交えて、細菌の生態という面から特に歯周病について考えてみたい。一般的に、常在微生物が病原微生物よりも、自分の環境である宿主の組織を破壊することが少ないであろうことは想像できる。常在微生物が宿主に大きな影響を与えれば、同一の宿主における安定した存在が許されなくなるからである。しかし常在微生物といえども、基本的にはその存在が宿主に悪影響を及ぼす傾向があるということは、日和見感染症を考えてみればよく理解できる。さらに常在微生物が、宿主という環境の条件に、質量ともに微小ながらも自らの目的に適合するように変更を加えていることも想像できる。

この微小な変更が、ある時に症状として顕在化したものとして、日和見感染症を考えることもできよう。ともあれ、虫歯や歯周病を起こす原因菌とされている常在細菌が、歯を含めた口腔という生存環境を完全に破壊し、消滅させることを究極の目的にするはずはないだろう。したがって虫歯の場合には、歯の表面に定着することが常在菌としての存続に必須の条件となるならば、この条件を満たすために、歯に足掛かりとして微小な侵食を行なうことも納得できる。

2015年3月7日土曜日

開き直りと脆弁

突き放した言い方をすれば、日本の財政赤字は寒帯地方の永久凍土のように、完済されることなく残り続けるであろう。財政当局はこれが「財政硬直化」につながるとして警鐘をならす。

国債発行を始めた当初、六〇年代の「硬直化キャンペーン」は主として社会保障費や教育費などの非投資的経費の構造的増加に矛先を向けていた。が、今日では国債発行自体、つまり国債の利子と償還のための支出、「国債費」が主要なターゲットとなっている。

これは二〇〇〇年度予算だと、約二十二兆円、一般会計予算の約二六パーセントに達する。社会保障費(約十六兆七千七百億円)、公共事業費(約九兆四千三百億円)など、本来の財政支出をはるかに上回る、最大の支出項目である。

九九年度予算に対する増加額(約二兆千三百億円)だけで、たとえば日本の対外政策の最大の「武器」である経済協力費(約九千八百億円)の二倍以上にもなる。過去の借金の尻ぬぐい(利払いなど)という後ろ向きの支出で予算の四分の一以上も食われてしまっていては、年々の財政需要に対処していくのに必要な弾力性が大きく損なわれる(「硬直化」する)というわけである。

ただ、事態がここまで進んでしまえば「財政の健全性」に対する見方も修正せざるを得まい。つまり、健全体の基準となる収支の均衡を、以下のように後退させたかたちで考えるということである。

すなわち、よほどの好景気が続かない限り考えることのできない国債残高の圧縮をとりあえず棚上げにする。つまりは年々の国債費を削減することは当分の間不可能とあきらめて、これを各年度予算に初めからあて込んでおく。

実のところ、毎年度の予算編成は、そのように行われている。「均衡」は、この国債費と年々の借金(国債発行額)との対応で考える。それは同時に、年々の本来の財政支出は、税収など本来の財政収入と均衡させるということである。

累積債務の巨大さに匙を投げたあげくの脆弁ともいえようが、倒産企業の建て直しに似たかたちで、さし当たり手のつけようのない累積債務とこれから否応なしに発生する利払い曹(国債費)を、囲いの中に入れてしまうのである。

とはいえこうした開き直りや誰弁は、急速なグローバリゼーションが進む国際経済社会にそのまま通るものでもあるまい。「国際社会」といえば、十年にもならない昔、日本が財政運営の健全化をはかろうとすることに「エゴイズム」と非をならしていた。

特に米国の政府やエコノミストは、日本の財政赤字が日本政府の主張ほど深刻なものではないとし、日本の経常収支の黒字減らしを財政拡大策に求める強圧をかけていた。今日掌を返したように、日本の財政の「不健全性」を難じている。

経済理論に基づく主張には傾聴すべきものもある。同時に国益や個々の省庁の権益保持を策したまがいものもある。「日本の財政の危機的状況」は、日本の国債の格付けを下げようとするような国際金融市場の現実に即して、深刻に受け止めねばならない。

が同時に、真に必要があるなら、財政の景気下支えはこの先も敢行すべきであろう。少なくとも、「巨大な財政赤字」にうろたえ、財政の健全化のみを求めて増税や歳出の削減を急ぐことは避けねばならない。そもそも、民間経済の健康状態から独立した財政の健全化など、ありようはずがない。

2015年2月7日土曜日

竹島問題

竹島の領有権問題も、日韓関係に荒波を引き起こした。竹島については六五年の日韓基本条約によって両国関係が正常化された際にも、問題は先送りされていた。

韓国は五四年から竹島に警備隊を常駐させ、施設を作って実効支配を続けた。日本政府は毎年、抗議の口上書を送っているが、韓国政府はこれを無視して、島の周辺海域で日本漁船の拿捕や日本巡視船の退去警告を出す事例が続き、日本による国際司法裁判所への提訴も、韓国側に拒まれたまま実現に至っていない。

国連海洋法条約の批准にともなって、九六年二月に日本側が竹島周辺海域に経済水域を設定する動きが表面化すると、韓国側は「竹島はわが国固有の領土だ」と主張、領有権を明確にするため防波堤を建設する計画を打ち出した。

それだけではない。当時の池田外相の「竹島は日本の領土」という発言をきっかけに、金泳三大統領が山崎拓自民党政調会長を団長とする与党訪韓団との会談を拒否、これに歩調を合わせて、与野党が対日非難の声をあげ、市民団体の抗議デモが続いた。さらに、竹島の警備の強化や軍事訓練の予定が公表され、韓国内は騒然となった。

韓国政府の強硬姿勢には、同年四月の総選挙に向けて反日世論に配慮した面もあったが、韓国が竹島に防波堤を作る計画を座視するわけにはいかないと、二月十日の自民党総務会は、「韓国は李承晩ライン復活のため竹島を占領している。北方領土問題ではロシアに厳しく対応しているが、竹島問題でも強く抗議してほしい」との声が相次ぐなど、日本側からも強い反発が出た。

2015年1月10日土曜日

広がる薬害

輸出するメーカーの言い分は「発展途上国でも農薬なくしては現在のような農業生産を上げることは不可能であり、世界はすぐにも飢えることになる」という一語につきる。これに対しては『農薬スキャンダル』(邦題、三一書房)の著者、D・ウィヤーとM・シャピロは、「発展途上国で使用された農薬の五〇~七〇%が、現地民の食糧生産ではなく、コーヒー、バナナなどの輸出用作物に向けられている」と反論している。

米国会計検査院の報告でも、発展途上国が米国向けに輸出しているコーヒー、トマト、砂糖など主要な一〇品目に使われている農薬の五九%までが、米国内では違法とされていたものだった。「農薬のブーメラン現象」と呼ばれるしっぺ返しである。皮肉なことに、先進国は自分らが売りまくった農薬が、輸入食品を汚染して戻ってくることに脅えることになった。

アフリカで会った米国の平和部隊の隊員に、活動のマニュアルを見せてもらったことがある。「健康」の項には、その国で使ってはいけない医薬品の一覧がある。鎮痛剤であったり、抗生物質であったりするが、その大部分が欧米の名の通った製薬会社製の医師の要指示薬である。アフリカで生活した私の経験では、かなりの奥地でも種類さえ選ばねば抗生物質は日本よりもたやすく手に入る。それだけ先進国の医薬品が、規制もなしに氾濫しているのだ。

先進国では薬害問題が社会的に取り上げられ、副作用のあるものについては医師の処方籤が必要になっているが、発展途上国では相変わらず、製造国で禁止あるいは厳しく制限されている薬剤が野放しで売られている。発展途上国向けの医薬品に、本国と同じ注意書きや警告が添付されることの方が少ない。地元の医師にすら、副作用などは知らされていない場合が多い。

米国の製薬メーカーの業界団体によると、米国内で製造される医薬品の売り上げの四四%は発展途上国向け(一九八五年)という。この輸出を伸ばすためには、かなり悪どいことも行われている。米国の製薬会社が、三種類の抗生物質の売り上げをコロンビアで伸ばすために、賞金つきで薬局に競争をさせたことがある。結局、この三種類で売り上げを大きく伸ばしたが、地元紙の知るところとなって、裁判沙汰になりで一〇〇ドルの罰金を課せられた。そのコロンビアで海外からの製薬会社が使う広告費は、同国の国家保健予算の半分以上に上るという。