2014年4月17日木曜日

東アジアの構造調整

一九九〇年代に入るや、日本は厳しい経済低迷に見舞われ、東アジア諸国からの製品輸入、東アジア諸国への企業進出にかつてのような力はなくなった。ところが、これを補ってあまりある力を、実はNIESがASEAN諸国と中国に与えはしめたことが目される。すなわち近年のNIESもまた、内需主導型成長戦略に転じ、後発国の需要吸収者機能を強化しつつある。

加えて、NIESは後発国に対する大きな投資者としても有力な存在となった。その結果、NIESとASEAN諸国・中国とのあいだに補完的な関係がいちだんと強まっていった。台湾、香港、シンガポールといった在外華人国の場合、ASEAN諸国・中国の華人資本との連携が密であるというのも好条件となっている。実際のところ、香港・広東省を結ぶ「華南経済圏」、台湾・福建省を結ぶ「海峡経済圏」は、今日すでに「統合化」へのハーフウェイをはるかにこえてしまっている。

中国がその新戦略を、東アジアに渦まく激しい構造調整と貿易・投資構造の再編期に提起したのは、的確な判断だというべきであろう。趙紫陽は、さきの戦略表明のなかで、そうした東アジアの状況をたしかな好機ととらえ、「現在の好機を急いで生かすためには、沿海地域はこれに見合った発展戦略をもたなければならない。

全般的には、一億余から二億の人口をもつ沿海地域がしかるべき指導のもとで、計画的に、段取りを追って国際市場をめざし、国際的な交換と競争にいちだんと積極的に参加し、外向型経済を大いに発展させなければならない。これは戦略問題として対処されるべきである」、と表明した。的確な判断である。

改革・開放は、この十数年の過程で中国経済のなかにすでに強囚に「ビルトイン」されており、インフレや所得分配の不平等化に悩まされながらも、国民の大多数はこの路線の「受益者」なのである。「沿海地域経済発展戦略」は、これを長期的な視野からながめれば、中国近代化にとって他に代替策のない開発シナリオである。

「放」(改革積極派路線)と「収」(保守慎重派路線)をくりかえす、中国政治に固有の「政治サイクル」はなお避けえないにしても、中国がその国是である経済近代化を断念するのならいざ知らず、そうでない以上、結局のところ全体としての方向が沿海地域発展戦略の方向に収斂していくであろうことは、まちがいあるまい。